2015年11月9日月曜日

中世ヨーロッパ・・・人口減少の原因はペスト?


ペストは、インドからアジア南部にかけて生息していた保菌ネズミ(クマネズミ)が、気候変動による食物連鎖の変動で次第に北上し、さらに西進した結果として発生した、といわれています。

とりわけ13世紀には十字軍が東方へ蒙古が西方へ進んでいたため、東西を結ぶシルクロードに乗って、次第に西へと伝播していきました。



1347年、コンスタンティノープルに侵入すると、翌48年、ジェノヴァの商船により地中海の貿易路をそのまま辿って、クリミア半島のカッファからイタリア、フランスに上陸し、瞬く間にヨーロッパ内陸へ波及しました。

以後3年余の間に全ヨーロッパを席巻し、当時の死者は3人に1人に達しました。

ペストはその後も、1350年代、65年前後、80年代前半、95年前後と、ほぼ10年間隔で流行を繰り返しました。そのため、ヨーロッパ全体では100年間に約2000万人が死亡し、14世紀末までに死亡率が出生率を上回った状態が続きました。

このように書くと、ヨーロッパの農業後波は、ペストによって下降期に向かったようにみえますが、それだけではありません。その要因はあくまでも人口容量の飽和化でした。

つまり、ペストが大流行した背景には、

①14世紀前半の農業環境の悪化とそれに伴う栄養状態や衛生状態の混乱がありました。ペストによる人口減少は、それ以前からの人口減少傾向を加速したものにすぎなかったのです。

②ペストの伝染ルートは商業による国際貿易の拡大によって生まれたもので、また爆発的な流行を生んだのも、商業都市の成立で人口密度の高い町が成立していたからです。その意味で農業後波の農業技術や経済システムが辿りついた、必然的な結果といえるものでした。

こうして、農業後波の人口は16世紀初頭まで停滞していきます。この200年間の社会とは一体どんなものだったのでしょう。

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